星と土となかまたち

〈お知らせ〉9月2日(土)「TABIのお話会」、9月3日(日)「TABIの音楽会」

世界60カ国以上をめぐり、また、馬に乗って中米を旅した経験をもつ、ささたくやさん。日本に帰国後は、独学で習得した料理や手仕事、そして音楽やお話を通して旅中に得た学びや気づきを私たちに伝え、分け与えてくれています。

主催する「TABI食堂」では、ローフードと日本の発酵食などを彼のインスピレーションで組み合わせた美しいお料理を日本各地で振る舞い、2016年には自身の思考や旅のエッセイ、レシピが満載の著書『ささたくや サラダの本』がエムエム・ブックスより刊行されました。

現在は、高知県・四万十川ほとり、おおきなせせらぎがすぐそばにある古民家に住み、畑を営み音楽を奏でながら自給自足をベースにした暮らしを実践しています。


そんな彼が、星の坊主さまの家で旅のお話会と音楽会を開いてくれることになりました。

馬と共に中米を旅したこと、インディアンの人々と生活や彼らから学んだ知恵、独学で学んだ靴作りでなんとか食いつないだアメリカの旅、グアテマラでの静かな瞑想生活…… これは彼が歩んで来た旅のほんの一部のトピックです。お話会では、旅中に撮った膨大な写真と共に、生の声で物語を伝えてくれます。

音楽会では、その旅のなかで出会った楽器と声にのせて独自のスタイルで演奏します。彼はたったひとりでカリンバを爪弾き、ディジュリドゥを吹き、ホーミーを謳うのです。わたしたちはその音に耳をかたむけ、振動に身をゆだねながら、瞑想と睡眠のはざまの旅にでかけます。

じつは、さささんはこの音楽会の前に、ホーミーの本場であるトゥヴァ共和国に渡航し、帰国直後にはヴィパサナー瞑想コースに参加するそうです。より清らかに、パワーアップして、わたしたちの元に帰ってきてくれることでしょう。

大切な友人であるささたくやさんがこの地に足を運んでくれること、そして、ちいさな畳の間が彼の音で満たされるひとときを思い、ひとり胸をあつくしています。

「TABIのお話会」「TABIの音楽会」は、彼の物語や音、その稀有な存在自体を感じることのできる数少ない機会だと思います。

みなさまのご参加を、こころよりおまちしています。


「TABIのお話会」「TABIの音楽会」

両日ともに定員に達しましたので受付を終了します。

たくさんのご応募、ありがとうございました。



〈詳細〉


「TABIのお話会」

〈日にち〉2017年9月2日(土)

〈時間〉19:00 - 21:00(会場は18:40頃から)

〈参加費〉ドネーション

*ドネーションについては一番下のささくんの言葉をお読みください


「TABIの音楽会」

〈日にち〉2017年9月3日(日)

〈時間〉19:00 - 21:00(会場は18:40頃から)

〈参加費〉ドネーション

*ドネーションについては一番下のささくんの言葉をお読みください

〈持ち物〉畳の間にて、座ったり寝転がったりして聞いてもらうので、クッションやブランケット、タオルなど必要な方はお持ちください。

〈お願い〉静かな、瞑想的な音楽会ですので、ちいさなおこさまとのご来場の際はご配慮いただけますよう、お願いもうしあげます。



〈場所〉星の坊主さまの家

(長野県佐久市春日。詳しい住所はご予約いただいた方にご連絡いたします)

*本会では、原則として送迎はいたしません。ご注意ください。

*駐車場あり。駐車スペースの関係で、別の場所に駐車後こちらで送迎させていただく場合もございます。あらかじめご了承ください。

*駐車場に限りがありますのでお近くにお住いの方どうしでお乗り合わせいただくと大変助かります。ご協力おねがいいたします。


〈お申し込み〉

定員に達しましたので受付を終了します。

たくさんのご応募、ありがとうございました。


〈主催・お問い合わせ〉

星の坊主さま

toumei@starbows.net

【TABIのお話会にむけて】ささたくやさんの言葉


今までに旅を通して本当に様々なスペシャルな体験をさせてもらってきた。そして、そのスペシャルな体験の中に身を投げ出すためには、決断に準備、そして行動をしてきた。決断をしたときから物事は動き出す。

こうして、自分の体験に耳を傾けてくれる人たちにお話をすることも、また大切なシェアという形なのかもしれない。ぼくの体験をみんなとシェアしたいと思う。

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日本での大学生時代から旅を始めたぼくは、大学を卒業してもまだまだ旅がしたかった。けど、世間一般的にはその行為は、認められるものではなかった。もちろん、一般的なものから外れてしまうのは怖かったし、将来への不安もいっぱいあった。その目に見えないプレッシャーに自分を押し殺さなければいけないとさえ思った。けど、心の声を無視することは出来なかった。そうしてしまうことが、その先で一番後悔してしまうことになってしまうとわかっていたから。

旅立つ前の、両親との話し合い、それはとても苦しいもので、今でも心にとても強く残っている。「これから、おまえはどうやって生きていくんだ』、子を心配する親の言葉。ぼくは両親の問いかけに、答えらなかった。「それを見つけに、旅をしにいくのです。」父は最後に言った、「お前の人生だ、思う存分やったらいい。その場の欲求の解消だけの旅をしては駄目だ。継続的な旅をしなさい、旅の経験がこれからどんどんとその先に繋がっていくように。そして、これからはお前一人で生きていくんだぞ。」この言葉を旅中に何度と思い返したことか。この言葉のおかげでぼくは、〈旅を旅で終わらしてはだめだ、旅を生活にしなければ〉、という決意が生まれた。旅を生活にするためには旅先でお金も稼がなければいけない。このハングリー精神のおかげで、旅で音楽を奏で、手をつかってものつくり、靴もつくった。お金を稼ぐ術を身につけていったのだ。今までの旅で身につけてきたことが、今、日本にいても生活の糧となって紡がれていっている、父のあの一言のおかげだ。

ぼくは大学の卒業認定をもらうと、卒業式にも出ずに日本を飛びたった。それから、馬に乗って旅をするという、夢だったジプシーのような生活に飛び込んでいく……


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【ドネーションについて】


TABIのイベントでは、音楽会やお話会など「カタチ」のないものはなるべくドネーション形式で行いたいと思っています(「カタチないもの」とは、はきっりと言えば、料理等のように経費がかかるものではなく、「もとで」がゼロで出来るものです。もとでがゼロのものならば、自分自身に負担がかからずに快く納得して気持ちよくできるというのが、いまの私の現状です)。


ドネーションで会を行っている理由を、ここで明確に説明します。


「お金」とはとても便利なツールであること。そのツールをどういった意識で、気持ちで、扱うかということがあります。


◎まずは、お金第一に物事のやり取りが行われると、主催者側としても結果得るものがとても少なくなる可能性があること。お金とは一人一人の境遇によって持っている額が異なると思います。しかし、ただ唯一の「お金」という物差しでだけでさまざまな可能性が狭まるのはとてももったいないです。人によっては、お金ではなくそれ以上の何かを差し出せる可能性を持っているかもしれません。そしてその人が真に正直な心で差し出したものを受け取ることで、何かが生まれてくる可能性があるのを実感しています。

◎旅のお話会を催すという目的は、「自身のために、他者のために、そこで新たな可能性が生まれること、新たな出会いが生まれること。」であります。また、いままで僕がさまざまな機会で受けて来た恩恵を次の人に渡す行為でもあります。その目的のためには、その行為に対して「金額を設定する」ということは、自分の心の中で疑問が生まれてきてしまいます。自分に正直で在れるようにと、心の声を大切にします。

◎ドネーションという形で金額を設定しないということで、一人一人が「お金を払う」という行為を自発的に考えるきっかけになって欲しいという思いもあります。また、「いくら払うか」、「いくら払えるか」ということも自分の心に正直になって考えてもらいたいです。もちろんドネーションというのは任意ですので、全くお金を払わないというのも結構です。しかし、ドネーションを受けとる側も、もちろんこの社会で暮らしている以上はお金は大なり小なり必要であり、そうした相手を思いやる気持ちも、もちろんそのドネーションという行為の中に含まれていると思います。

◎ドネーションという形で、今の自分が心より納得して催しを行っている経緯は、今までぼくが出会った人々の姿から受けてきた影響でもあります。お金優先ではないコミュニティーの在り方に、確かなものがあること、そこから先に広がって行く大きな可能性が含まれていることを目の当たりにして来たのです。その未来への光りを、すこしでも自発的に実践して行きたいです。

◎以下の文章は、以前に伊豆で自給自足を営むDionと一緒にパーマカルチャーワークショップを行ったときに記載したものです。このシャーマンのお話にも、さまざまなレベルにおいて、大きな意味が内包されています。

『先住民の癒しの文化において、シャーマンやメディスンマンの立場の人たちは、決して自分たちの癒しの見返りに報酬を求めたりはしません。というのも、このような人たちは、自分の特殊な能力は天から授かったものであり、他者に施す癒しそのものも授かったものであると心で理解しているからです。もし、仮にシャーマンやメディスンマンが、自分の施しの見返りに金額を提示するようなことがあれば、もはやそれは天から与えられた神聖なギフトではなくなってしまうのです。こうしたギフトは人から人へと譲り継がれて行かなければなりません。もしその流れが淀んでしまえば、その力は毒となりうるでしょう。このシャーマンやメディスンマンが持っているメディスン(薬)の力を持続していくためには、あくまでギフトとしてあり続けなければいけないのです。同時に、そのコミュニティーで一緒に暮らす人々もシャーマンやメディスンマンが自分たちのところへ特別なギフトを運んできてくれることを深く理解しているのです。彼らの暮らしの物質、社会、そして精神面においての滋養をもたらしてくれるギフトです。人々がシャーマンやメディスンマンに差し出すギフトは、物質的生活を支えることです。こうして各々が自分たちが与えられたギフトを理解し、お互いに助け合いコミュニィーとしての暮らしを営んでいます。』