星と土となかまたち

アイとアオと龍を想う日々

(アイとアオと龍な人たちと、龍の暮らす川へ)


今年は自宅前にハーブを中心とした菜園をつくってみた。ディル、コリアンダー、トゥルシー、ボリジ、青しそ、イタリアンパセリ、ミントなどなど、多様な彩り。その端っこに、こんもりと繁るアイの畑がある。

はじめてアイに触れたのは、農業研修二年目の年。研修仲間とアイを育てて、アイを感じるために呑気な気持ちでやってみた。アイのエキスの中に絹や綿、ウールを浸し、初夏の爽やかな空気に触れさせてみると、、、みるみるうちに色が深く濃く変化していった。そこから、水で緑を濯いでいくと、あっというまに青の色があらわれた。それはぼくがアイの魔法に心奪われた瞬間だった。

研修を終え、農を営むことになったぼくは、星の坊主さまと名乗ることにしたのだけれど、星の坊主さまにはどんな色が合うかなあとイメージすると、金に近い黄色や白、それに青のイメージがあった。やっぱり青かあと、そりゃそうだ的に思った。でも、一年目の新米百姓にはアイを育てる余裕がなくて、ばたばたと、アイとアオから離れる生活を送った。

そんなぼくが次にアイに触れることになったのは、手仕事研究家の石田紀佳さんのおかげだった。どういういきさつか忘れてしまったけれど、自宅でアイの意識を深める会を行うことになった。紀佳さんは神奈川秦野のセカンドハウス、雑草園でアイを育てていたようで、坊主のパートナーのゆみこさんがアイの苗をいただき、佐久まで持って帰ってきてくれたことから、アイとの付き合いがまた始まった。

そんなアイの会をやるならば、アイについて何か物語が書きたい!と思って書いたのが、『星から聴いた物語』セットに収録されている『青の約束』だ。アイという存在が発する振動にシンクロするために、意識のチャンネルを合わせようとしていると、どういうわけか龍が出てきた。最初は「あれ、龍しか出てこない」と思って、「龍さん、ちょっとどいてくださる?」という感じで龍の後ろにいるはずのアイを探していたけれど、いつまで経っても龍しか出てこない。「あのう、龍さん。ぼく、アイとつながりたいの。だから、あなたじゃないのよ」と伝えると、「アイとわたしたちはつながっている」と龍が返事をしてきた。「アイと龍が?」と訊き返すと、龍は「アイから生まれたアオは、わたしたち龍と人とをつなぐ約束の色だ」と言った。そこまでくると、びゅーーーーんと様々な光景が見えてきて、それをそのまま書き落としたら『青の約束』が出来上がった。


そこからまた一年が経った今、アイとアオと龍を想う日々が続く。その独特の周波数を感じていると面白いことがいろいろとわかってきた。ああ、この人は龍と親交があった人だ、とか、この人は龍と人との間に生まれた龍人だった過去があるなあ、とか。だいたいそういうことは自分の中に留めているのだけれど、明らかに龍の意識を宿すアオの人々を見かけると、テンションが上がって伝えてしまう。「龍の意識とつながってるんですね」って。

最近、ぼくがそんな状態だからか、アイとアオと龍とつながる人としか出会わない。ずいぶんと偏った世界に来ちゃったなあとは思えど、辛苦のない心地よさと楽しさだらけの時空だと、「ま、いっか」と開き直ってしまう。そもそも人ひとりが世界全体、地球全体、宇宙全体のバランスをとることなんてできないだろうから、ひとつの個としてただ在ることが美しい調和への近道!と、ぼくは今アイとアオと龍の波に揺られて漂っている。この流れはどうやら夏の終わりまで続くらしい。

今年の夏は不思議な出会いがたくさん予定されている。どれもこれも、アイとアオと龍を感じざるを得ない出会いばかりで、予定されたこと以外にもきっと予期せぬ出会いが待っている。


7月28日土曜日は自宅に設けた「とうめい」というスペースで、またアイを深める会をおこなうことになった。同じようにアイを深めアオと龍を想う石田紀佳さんと。今回はぼくの達てのお願いでアイの発酵、藍建てなどについて教えていただくことになった。冬に極寒のエリアとなる信州佐久においても古くから佐久藍染という文化があったように、アイを育てることは十分にできる。むしろ昔よりもずいぶん暖かくなっているから、もっと育てやすくなったはず。というわけで、これから毎年、アイを育てて、刈り取って、乾燥させて、蒅(すくも)をつくるということをして、そこから藍を建てて、藍染めをするところまでしていきたいなと思う。

それがどういう意味を持つのか、なんなのかなんてさっぱりわからないし、わかろうともしていない。楽しいからやる、心地よいからやる、ただそれだけなのだなあと、ぼんやり思う。相も変わらずというか、いつまで経ってもというか、ぼくはぼくの幻想の中で生きている。この幻想はキレイゴトを愛する人間が脚本・監督を頑なに務めているから、どうしたって楽しいことや美しいことしか起こらない。ちょっとしたスパイスや起伏を入れるときもあるけれど、そのタイミングは奇をてらいすぎていてよくわからない。だからこそ、この幻想は面白い。