星と土となかまたち

「わたしの世界は、わたしの意識状態の投影である」ことについて。


最近、いろいろとお問い合わせというかご相談をいただくことが多くなりました。
お一人お一人と向き合ってお答えしたいという気持ちはあるのですが、ぼくは占い師でもセラピストでもなく、ただの星の坊主さまなのでこれまでにみなさまからいただいた声を、ここで文章として書いてみます。

もし個人的なご相談がある方は、ぜひセラピストや占い師の方にご相談くださいね。ご相談のエネルギーと同じ価値のエネルギーを費やして、素敵な巡りをつくることをオススメします。

さて今回は、俗に言うスピリチュアルな情報の中でも根幹のひとつとなる、「わたしの世界は、わたしの意識状態の投影である」ことについて筆をとってみます。

おはなし会の冒頭で何度もお伝えしているのですが、あらためて。
これからおはなしすることは、あくまでもぼくが感じていることをお伝えするだけであって、これを読まれるみなさまにとっての、たったひとつの答えではありません。
あくまでも、情報のひとつです。読んで自分がどのように感じたか、そこからどうするか、ということを大切になさってくださいね。


では、本番。

「わたしの世界は、わたしの意識状態の投影である」こと、知っている方は多いでしょう。だからこそ、自分の生活の中で予想もしないことが起こるとビックリしますし、人によっては悩んだり罪悪感を抱えたりしてしまいます。むしろそういう方が多いのかなあというのが、星の坊主さまの活動をしていて感じることです。

例に漏れず、ぼく自身もビックリします。
「こんなものがぼくの意識の中にあるのか。。。」というように。

ぼくが普段見ている世界は、おそらく皆さんと同じようにものすごく複雑で多岐にわたっています。

「そうか、あの芸人さんがこんなことに」
「ああ、政治はこちらの方向に動いていくんだ」
「戦争はしないでねー」
「よしよし、今日もホームラン打ったぞ」
「そういえば、あの人は今元気にしているのかしら」
「おや、畑が水没しちゃってる。どうしよう」
「草刈りそろそろやらないとなあ。でも、明日やればいっか」
「ありゃ、お財布の中からっぽだ。ATM行かなくちゃ」
「全然、上手にできない。くー、もどかしい」
「きゃー、恥ずかしい。穴があったら入りたい」


書き出してみるとおもしろいですね。とにかくまあ潤沢な思考とともに暮らしています。
で、早いか遅いかはありますが、必ずと言っていいほど、感じ直す時間をとります。

「ぼくの世界で起こった出来事は、ぼくの意識が作り出したものだもんな」

すぐに浮かんでくるもの、あとでじんわり思い知ること、さまざまです。
そのことに気づいた後、解決をするために原因を探すことは、ぼくの場合はしません。
それを始めてしまったら、魂の原初の頃まで遡ることになり、きりがないのでやりません。

今の意識の結果が、過去も未来もすべて内包した現実の世界なので、
「意識を変える」もしくは「意識を手放すこと(フォーカスしないこと)」だけ、してます。

たとえばどこかで災害が起こった。戦争が起こった。凄惨な事件が起こった。
それがぼくの世界に現れたとき、「これはすべてぼくのせいだ。なんてひどい存在なんだぼくは。どうしたらこの世界を変えられるんだ!」とは思いません。

「そっか。こんな意識がぼくの中にあるのか。でも、今後はその世界を選びたくないな。それじゃあ、ぼくにとって夢のような世界っていったいどんなだろう?」

と考えることはあります。

ひとりの人間として、世界で起こるニュースや身の回りで起こることによって生まれる感情は喜怒哀楽を含めて、たくさんのことを感じとりますが、フォーカスして引きずることはしません。自分を責めることもしませんし、善悪で判断することもしません。罪悪感を感じることもありません。(紆余曲折あって、今はそんな人間になりました)


たいてい一晩寝れば、新しい自分!そして新しい世界!という感覚で一日が始まります。
あらゆる感情を体験することと、鏡で自分の姿をくまなく見ることはほとんど一緒です。

あ、顔にまつ毛がついてるなあとか、首元に虫刺されのあとがあるぞ、とか。
そこに気づいたら、鏡の中の自分を変えようとはしませんよね。
あくまでも、鏡の前に立つ自分を整えたり、見直したりします。

つまり、なんらかの感情を獲得したときには、自分自身の意識に焦点を当てます。


罪悪感を感じること、怒りを覚えること、その他いわゆるネガティブと言われている様々が自分の中から出てくることは、ポジティブを感じ取ることとまったく同じくらいとても幸運なことです。決してネガティブに恐れを抱いたり悪しきものと扱う必要はありません。
むしろ、大歓迎(ひゃっほーう!)なのです。

ご相談いただくことのほとんどは、ご自身で感じ取ったことを意識し続け、善悪のものさしで判断することで悩むケースが多いような気がします。
渦中にいたときに、その渦を散々味わったから、もうその渦だけは絶対に嫌だ!と思っているのに、消えかかった当時の渦をじっと見つめて、似たような同じ渦を新しく作り直すために、一生懸命に棒をぐるぐるとかき回している、そんな光景に見えます。

先日の三重京都のおはなし会の際に、次のようなことをお伝えしました。

「たとえばラの音が、自分にとって不都合で不快な音だとしたとき、
 (実際にラはとても素敵な音ですよ)
 たいていの人はラの音にフォーカスしすぎて(浸りすぎて、考えすぎて、感じすぎて)、
 ラの音がイヤなのに、日々の生活の中でラの音の響きが消えないように、
 積極的に(というと誤解があるかもしれませんが)ラを叩いている気がします。
 意識しすぎて、逆にそれが「望み」や「願い」のようになってしまっているんです。
 もし、レの音が自分にとってほんとうに心地よくて最高の音だとしたら、
 ただ黙々とレを叩いて響かせればいいと思います。
 発した響きはいずれ消えてゆくので、ラを叩きえさえしなければ、ラの響きは消えます。
 レが好きな人はレを、ファが好きな人はファを響かせていきましょう」

ラの響きを記憶して、記憶の中のその響きを取り出して(意識してしまい)、記憶の響きで悩み苦しむ。それは、魂のクセだとか、前世の記憶だとか、その人自身の人格的なことだとか、正直それはどちらでもよくて、突き止めようとしなくていい、とぼくは考えています。


好きな響きで日々を包むことに集中、熱中していただくのが、「ひとまずは」いいのかな、というのが個人的な意見です。そのうちに、単音だけじゃ満たされないことに気づくはずです。

和音をつくってみたり、はたまた倍音を奏でてみたりして、「自分が感じたことを、(外に発信する形で)表現する」という人それぞれのアプローチがはじまります。

「悩み」や「考え」は基本的に、頭(脳)を使っているのでしょうけれど、頭はそういうことに使わずに、「感じたことをていねいに表現するため」に使うと、それぞれにとって素晴らしい結果につながります。

もちろん望んでいた結果、残念な結果と、いろいろな結果が出るとは思いますが、結果は確実に糧になるので、どんどん結果を積み重ねて、どんどん自己表現を高めていくのが、個人的にはオススメです。いつしか、自分の軸で取捨選択できるような自分を取り戻せます。

この星におけるぼくたちの人生は、グランドフィナーレを終えて、カーテンコールに応えて、それぞれの星へ戻るまではすべてプロセス(帰ってもプロセスが続くのですけれど)なので、思う存分一喜一憂する豊かさを味わって生きていきましょう。

「わたしの世界は、わたしの意識状態の投影である」ことを知って、その投影を通して体験したことを活かして、自分自身が心から望む世界に向かって、一歩一歩踏み出していくこと。
それが、この世界やそれぞれの人生を豊かに楽しむひとつの手段、なのかもしれません。

もし
「いやー、罪悪感ってほんとうに楽しい!こんな気持ち、地球でしか味わえない!」
「執着ってほんとうに素晴らしい体験。だから、これからも執着をつづけていくわ!」

というように、楽しんだり充実したりしている場合、もちろんぼくは止めません。

ぼくはぼくでみなさまからの声を聞いて、
「果たしてぼくはどうかしら」と感じ直して、「ぼくはこうしよう」と選んで、
「ぼくが選択できたのは、みなさまから声をいただいたからです。お会いできてよかった!ほんとうにありがとうございます!」

それだけをみなさまにお伝えし続けていきます。

「人のふり見て我がふり直せ」の繰り返しを重ねて、ほんとうの自分の意識を見つけていきましょう。ぼくもやるぞー!



今回はこんな感じです。(石井ゆかりさん風)



こじょうゆうや