星と土となかまたち

9月4日(水) ささたくや「TABIの音楽会」

ささたくやさんが、2年ぶりに佐久へやってきます。

本場トゥヴァ共和国の師の元で3ヶ月もの間ホーメーを学ばれているさささん。前会同様に、帰国後間もなくのライブです。

会場である とうめい は畳の間ですので、横たわって聴いていただいてもだいじょうぶ。

目を閉じて、眠っているような、起きているような、そのあわいに身をゆだねます。


きっと、さささんはわたしたちがまだ降り立ったことのない異国の地、トゥヴァ共和国の空気も運んで来てくれることでしょう。その美しい、稀有な存在もあわせて感じていただけますように。

「TABIの音楽会」


〈日にち〉

2019年9月4日(水)


〈時間〉

17:00 - 19:00(開場は16:40頃から)


〈参加費〉

ドネーション

*ドネーションについては一番下のささくんの言葉をお読みください


〈持ち物〉

畳の間にて、座ったり寝転がったりして聞いてもらうので、クッションやブランケット、タオルなど必要な方はお持ちください。


〈お願い〉

静かな、瞑想的な音楽会ですので、ちいさなおこさまとのご来場の際はご配慮いただけますよう、お願いもうしあげます。


〈場所〉

とうめい

(長野県佐久市春日。詳しい住所はご予約いただいた方にご連絡いたします)


*本会では、原則として送迎はいたしません。また、お車でしかお越しいただけない場所にありますのでご注意ください。

*駐車場あり。駐車スペースの関係で、別の場所に駐車後こちらで送迎させていただく場合もございます。あらかじめご了承ください。

*駐車場に限りがありますのでお近くにお住いの方どうしでお乗り合わせいただくと大変助かります。ご協力おねがいいたします。


〈お申し込み〉

専用フォームよりお申し込みください

https://forms.gle/C45pYQ6F9nt4wE61A


〈主催・お問い合わせ〉

とうめい

toumei@starbows.net

【ドネーションについて】

TABIのイベントでは、音楽会やお話会など「カタチ」のないものはなるべくドネーション形式で行いたいと思っています(「カタチないもの」とは、はきっりと言えば、料理等のように経費がかかるものではなく、「もとで」がゼロで出来るものです。もとでがゼロのものならば、自分自身に負担がかからずに快く納得して気持ちよくできるというのが、いまの私の現状です)。

ドネーションで会を行っている理由を、ここで明確に説明します。

「お金」とはとても便利なツールであること。そのツールをどういった意識で、気持ちで、扱うかということがあります。

◎まずは、お金第一に物事のやり取りが行われると、主催者側としても結果得るものがとても少なくなる可能性があること。お金とは一人一人の境遇によって持っている額が異なると思います。しかし、ただ唯一の「お金」という物差しでだけでさまざまな可能性が狭まるのはとてももったいないです。人によっては、お金ではなくそれ以上の何かを差し出せる可能性を持っているかもしれません。そしてその人が真に正直な心で差し出したものを受け取ることで、何かが生まれてくる可能性があるのを実感しています。

◎旅のお話会や音楽会を催すという目的は、「自身のために、他者のために、そこで新たな可能性が生まれること、新たな出会いが生まれること。」であります。また、いままで僕がさまざまな機会で受けて来た恩恵を次の人に渡す行為でもあります。その目的のためには、その行為に対して「金額を設定する」ということは、自分の心の中で疑問が生まれてきてしまいます。自分に正直で在れるようにと、心の声を大切にします。

◎ドネーションという形で金額を設定しないということで、一人一人が「お金を払う」という行為を自発的に考えるきっかけになって欲しいという思いもあります。また、「いくら払うか」、「いくら払えるか」ということも自分の心に正直になって考えてもらいたいです。もちろんドネーションというのは任意ですので、全くお金を払わないというのも結構です。しかし、ドネーションを受けとる側も、もちろんこの社会で暮らしている以上はお金は大なり小なり必要であり、そうした相手を思いやる気持ちも、もちろんそのドネーションという行為の中に含まれていると思います。

◎ドネーションという形で、今の自分が心より納得して催しを行っている経緯は、今までぼくが出会った人々の姿から受けてきた影響でもあります。お金優先ではないコミュニティーの在り方に、確かなものがあること、そこから先に広がって行く大きな可能性が含まれていることを目の当たりにして来たのです。その未来への光りを、すこしでも自発的に実践して行きたいです。

◎以下の文章は、以前に伊豆で自給自足を営むDionと一緒にパーマカルチャーワークショップを行ったときに記載したものです。このシャーマンのお話にも、さまざまなレベルにおいて、大きな意味が内包されています。

『先住民の癒しの文化において、シャーマンやメディスンマンの立場の人たちは、決して自分たちの癒しの見返りに報酬を求めたりはしません。というのも、このような人たちは、自分の特殊な能力は天から授かったものであり、他者に施す癒しそのものも授かったものであると心で理解しているからです。もし、仮にシャーマンやメディスンマンが、自分の施しの見返りに金額を提示するようなことがあれば、もはやそれは天から与えられた神聖なギフトではなくなってしまうのです。こうしたギフトは人から人へと譲り継がれて行かなければなりません。もしその流れが淀んでしまえば、その力は毒となりうるでしょう。このシャーマンやメディスンマンが持っているメディスン(薬)の力を持続していくためには、あくまでギフトとしてあり続けなければいけないのです。同時に、そのコミュニティーで一緒に暮らす人々もシャーマンやメディスンマンが自分たちのところへ特別なギフトを運んできてくれることを深く理解しているのです。彼らの暮らしの物質、社会、そして精神面においての滋養をもたらしてくれるギフトです。人々がシャーマンやメディスンマンに差し出すギフトは、物質的生活を支えることです。こうして各々が自分たちが与えられたギフトを理解し、お互いに助け合いコミュニィーとしての暮らしを営んでいます。』